あめいろさいろ

頼られずに生きてみたかった。

「女子」になるには訳がある

うちの家族のことをよく知っている美容師さんに少し前に会って話したとき、こんなことを言われた。

「お母さん永遠の少女って感じだよねえ」

まったくその通りです、と返しておいた。

 

私も仲の良い人には冗談で「公式設定では18歳です!」なんて言うことがちらほらあるけれど、うちの母親はそうではない。

子供のころからずっと付き合いのある私や兄弟、母の実の妹から見ても、ずっと無邪気な少女のままだ。

 

大前提として、私はあまり女の人が得意ではない。

自分がその性別に属することは理解しているし、自分にも少なからずそういう部分があるのは認識している。

ただ、女性特有の、きっと説明しなくてもだいたいの人が理解できるあの感じが、得意ではない。

私の母親は、そういった部分を全部中級者向けに盛り込んだタイプの人だ。

ついでに言うと、父方の祖母はさらに上級者向けのタイプだ。

 

想像に難くなく、このふたりはとても仲が悪い。

傍目にはそう見えないところがまた、女同士という感じ。

母が無邪気な少女なら、祖母はいわゆるスイーツ女子というタイプだ。

スイーツ女子の特徴などが挙げられるとき、いつも真っ先に祖母を思い出す。

意思表示するのが好きな母と、情報に敏感な祖母は、とても話すのが好きだ。

ふたりの愚痴も後を絶たなかった。

おかげで、中学時代には先生に呼び出され愚痴を聞かされるくらい、話を聞くのは得意になった。

 

その代わり、母も祖母も私の話にあまり相槌を打たなかった。

そのときばかりは大人らしく、上からアドバイスをしてくる。

だいたいが否定形か鼓舞だった。

子供はわりと、自分の話を肯定してほしい生き物だ。

私はあまり母にも祖母にも話をしなくなった。

ふたりがそんな感じだったので、同じようなことを感じた妹たちは、思春期特有の親から離れたい意識もあり中学生頃から私に話を持って来るようになった。

母はそれが気になったらしい。

「どうしてお母さんには話してくれないの?」と不満をよく口にした。

結果として、私抜きで母と妹たちが出かけることが多くなった。

表向きは服の趣味が合わないとか、私が甘いものをそこまで好きじゃないからとか、そんな理由だったけれど、母が私をあまりよく思っていなかったことには、高校生のときにはもう気付いていた。

私は可愛い娘ではなく、気難しくて気の合わない娘なのだと思った。

特にさみしいとも不満とも感じなかった。

 

そして、母と祖母のバトルを見て育った私は、どちらとも相容れないひねくれた人間になった。

どちらかというと男寄りの性格や嗜好になり、男友達と女友達が半々くらい。

そしてどんどん「男といる方が楽しい」になり、ふたりとは違うタイプの嫌な女になった。

女に媚びるより、男に媚びた方が簡単だった。

 

こうしてたどり着いた先に、「叔母(母の妹)によく似ている」という私に対する感想があった。

確かに叔母は私とよく似ていた。

叔母の子供であるいとこにも、見た目や雰囲気が似ていると言われた。

嫌とはまったく思わなかった。

叔母はいろいろな経験をしていた人で、とてもさみしがりやの人に見えた。

とても私とよく似ていた。

 

年を重ねるにつれ、いろんなことが見えてくるようになった。

母や叔母、祖母の生い立ちを人づてに聞く機会も増えた。

それぞれ理由があって今の人間になっていることがなんとなく見えてきた。

 

私もそのうち身近な誰かに分析される日が来るのかもしれない。

そのとき、

「こうだったからああいう感じになったんだな」と思われるより、

「こうだったのにああいう感じになったんだな」と、

前向きな意味でとられるような人でいたい。

その前に、そこまで興味を持ってもらえる人間になれているかが疑問ではあるけれど。

 

私は母も祖母も苦手ではあるけれど、嫌いではない。

嫌いだったらこんなに考えたり分析したりしない。

ただほんの少しだけ、仲間に入れなくてよかったのかもしれない、とは思う。