復活、そして
このブログの存在を忘れていた。
たまたまどなたかのブログを見ていて、「あ〜なんか昔私もアカウント作ってたかも」と思い、メインのアドレスでパスワード再発行してみたらやっぱりあった。
何年も前の自分の文章、久しぶりに読んだら今よりずっと生き生き書けていた。ちょっと妬ましいくらいだ。
だからといって、その当時の自分と考えていることの根底は変わっていない。私はやっぱり今でも、外から見られている『私』じゃない自分でいられる場所がほしいのだ。
ちょうど年の初めの一発目なので、新年の勢いがてら記事を書いてみる。
温めていた創作ネタを、くっつけたりばらしたりしながら組み立てている。ひと昔前に考えていたネタをここ数年で組んでいたネタと組み合わせてみたり、ひとつの話としていたものを分けてふたつの話にしてみたり。どうせ素人、できれば自分が気持ちよく書ける内容にしたいと思ったからだ。
というのも、最近は形式にこだわるばかりで、以前のように物語に没入して筆(指)を走らせることがなくなったからである。職場でタイピングの鬼と呼ばれようと、創作についてはむしろどんどん遅くなっている。言葉を選ぶのにえらい時間がかかる。かっこいい文章を書きたい欲が創作欲に優っているからだ。
そこまで自己分析できているのにどうにも思ったように事は進まない。当たり前だ。好きなことを好きなように書くことより、書く体裁にこだわるようになった。どうにもつまらないのは、私自身がつまらないやつだから。自明の理。
元々文章を書き出したのは小学生の頃で、かれこれ20年ほど前のことになる。初めて書き上げたのは小6で、友達に読んでもらったのもそれが初めてで最後だった。
書くのに没頭してはしばらく間が空き、また没頭してはブランクを置き……繰り返し繰り返しまるで波のように、創作欲は何度も私に打ち寄せる。忘れた頃にまた足元をすくうかのごとくぴしゃりと冷たく触れる。
「お前は面白いものが書きたいんじゃないの?」
創作してきた過去の自分が嘲笑う。
「お前は今、何をしているの?」
はい、何もせず、月日をただ漫然と過ごしているのです。
何も悪いことはしていないはずなのに、何もしていない自分を過去の自分が責め立てる。
だけどねちょっと思い出してみてよ。
あんたらだってそんなに大したことはしてなくない?
漫然とした日々を過ごしてたのはあんたらも一緒で、自分を正当化したいがために今の私を責めてるだけでしょう。
そんなふうに、日々過去の自分と言い合いをしている。その結果、昔のネタと今のネタをあーだこーだ組み替えることになった。
あの頃の私たちだって、心からそれらのネタに満足していたわけじゃない。もし満足していたら書いているはずだもん。そんなこと私が一番よくわかっている。書き出したときに筆が止まらないのは次から次へとキャラが勝手に動くからで、ネタが尽きると止まってしまう。それの繰り返しだった。
ライターをやっていた頃は箱書きやらプロットやらを先方に提出する必要があって、それらは全て先方の要望通りにするシステムだった。求められたことについて回答をこしらえるのが得意な私にはお安い御用で、それ故に満足できる回答が捧げられない状況になったから辞めた。
そして同じことを自分のためにやるとなると、他者にサービスすることが得意な私にはなかなかハードルが高い。自分で自分の要求を満たす。メイクユアセルフとはよく言ったもので、私にとっては一番落ち着かない状況に陥る。
自分の、自分による、自分のための創作。
今年の目標はそれだ。
「女子」になるには訳がある
うちの家族のことをよく知っている美容師さんに少し前に会って話したとき、こんなことを言われた。
「お母さん永遠の少女って感じだよねえ」
まったくその通りです、と返しておいた。
私も仲の良い人には冗談で「公式設定では18歳です!」なんて言うことがちらほらあるけれど、うちの母親はそうではない。
子供のころからずっと付き合いのある私や兄弟、母の実の妹から見ても、ずっと無邪気な少女のままだ。
大前提として、私はあまり女の人が得意ではない。
自分がその性別に属することは理解しているし、自分にも少なからずそういう部分があるのは認識している。
ただ、女性特有の、きっと説明しなくてもだいたいの人が理解できるあの感じが、得意ではない。
私の母親は、そういった部分を全部中級者向けに盛り込んだタイプの人だ。
ついでに言うと、父方の祖母はさらに上級者向けのタイプだ。
想像に難くなく、このふたりはとても仲が悪い。
傍目にはそう見えないところがまた、女同士という感じ。
母が無邪気な少女なら、祖母はいわゆるスイーツ女子というタイプだ。
スイーツ女子の特徴などが挙げられるとき、いつも真っ先に祖母を思い出す。
意思表示するのが好きな母と、情報に敏感な祖母は、とても話すのが好きだ。
ふたりの愚痴も後を絶たなかった。
おかげで、中学時代には先生に呼び出され愚痴を聞かされるくらい、話を聞くのは得意になった。
その代わり、母も祖母も私の話にあまり相槌を打たなかった。
そのときばかりは大人らしく、上からアドバイスをしてくる。
だいたいが否定形か鼓舞だった。
子供はわりと、自分の話を肯定してほしい生き物だ。
私はあまり母にも祖母にも話をしなくなった。
ふたりがそんな感じだったので、同じようなことを感じた妹たちは、思春期特有の親から離れたい意識もあり中学生頃から私に話を持って来るようになった。
母はそれが気になったらしい。
「どうしてお母さんには話してくれないの?」と不満をよく口にした。
結果として、私抜きで母と妹たちが出かけることが多くなった。
表向きは服の趣味が合わないとか、私が甘いものをそこまで好きじゃないからとか、そんな理由だったけれど、母が私をあまりよく思っていなかったことには、高校生のときにはもう気付いていた。
私は可愛い娘ではなく、気難しくて気の合わない娘なのだと思った。
特にさみしいとも不満とも感じなかった。
そして、母と祖母のバトルを見て育った私は、どちらとも相容れないひねくれた人間になった。
どちらかというと男寄りの性格や嗜好になり、男友達と女友達が半々くらい。
そしてどんどん「男といる方が楽しい」になり、ふたりとは違うタイプの嫌な女になった。
女に媚びるより、男に媚びた方が簡単だった。
こうしてたどり着いた先に、「叔母(母の妹)によく似ている」という私に対する感想があった。
確かに叔母は私とよく似ていた。
叔母の子供であるいとこにも、見た目や雰囲気が似ていると言われた。
嫌とはまったく思わなかった。
叔母はいろいろな経験をしていた人で、とてもさみしがりやの人に見えた。
とても私とよく似ていた。
年を重ねるにつれ、いろんなことが見えてくるようになった。
母や叔母、祖母の生い立ちを人づてに聞く機会も増えた。
それぞれ理由があって今の人間になっていることがなんとなく見えてきた。
私もそのうち身近な誰かに分析される日が来るのかもしれない。
そのとき、
「こうだったからああいう感じになったんだな」と思われるより、
「こうだったのにああいう感じになったんだな」と、
前向きな意味でとられるような人でいたい。
その前に、そこまで興味を持ってもらえる人間になれているかが疑問ではあるけれど。
私は母も祖母も苦手ではあるけれど、嫌いではない。
嫌いだったらこんなに考えたり分析したりしない。
ただほんの少しだけ、仲間に入れなくてよかったのかもしれない、とは思う。
【ゲーム】牧場物語(SFC)
友人関係でたとえ話にゲームのことを引き合いに出す機会があって、連想ゲーム的に思い出したことがひとつ。
感じても一日経てば忘れてしまうし、この際だし書いておくことにする。
思い出補正があるのは否めないとしても、牧場物語シリーズを何作かやってみて、それでも一番印象に残っているのがSFCで出た最初の作品。
細かいシステム云々については省略するけれども、単純に、農作物・肉以外の畜産品・採集物を育てたり売ったりで、牧場主になったつもりのシンプルなシミュレーションゲームだった。
(というか今もシリーズ続いてるんだろうけど、確認はしてない。アプリがあったのはサイトで見たけどやってない)
で、このSFCの作品では、一週間に一回(確か日曜日)にだけ来る行商人のおじいさんがいた。
おじいさんだったかおばあさんだったか、その辺は定かではないけれど、そこは問題ではないのでいいとする。
基本的に、農作物や畜産品は日々育ち出るものだし、牧場内の出荷箱に投げ入れておくと夕方に回収されてお金に代わるようになっていた。
でも、どんなものだったか忘れたけれど、出荷箱に入れられないけれど売ればお金になるものがあって、そういうものは行商人のところに持って行っていた、気がする。
たぶん買い取り専門の人だった。
どうして買い取り専門だった気がするのかは、その人から買った記憶のあるものがひとつしかないからだ。
それが、今回思い出したもの、『青い羽根』。
牧場物語をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう重要アイテム、青い羽根。
何が重要かっていうと、別に牧場が急に金持ちになったり、収穫作業がフィーバーしたり、牧場に関する謎を明らかにするためのアイテムだったり、ということではなく。
プロポーズするために必要なのである。
このシリーズではプロポーズするために、キャラの親密度をMAXにしたあとで青い羽根を渡さなければならないことになっている、はず。
言い切れる自信がないのでちょっと調べてみた。
スピンオフと言われているルーンファクトリーシリーズでも青い羽根は必須のようだし、おそらく結婚可能な牧場物語シリーズ作品では習わしのようになっているんだろう。
(※重ねて言うけれど確定事項ではない。実はここ数年牧場物語シリーズには触れていない)
というわけで、長い前置きはおいておくとして、結婚という大きな節目と嫁(もしくは婿)を迎えるために青い羽根が必要なのは、もちろん初作であるSFC版も例外ではなく、むしろそこから青い羽根の習わしができた。
なのだけれど、ここで行商人の話に戻る。
一週間に一度しか来ない行商人が売っていた(記憶の限り唯一の)もの。
それが青い羽根だった。
そして青い羽根は、相手の女の子キャラの親密度がMAXになっていないと売りに出ないものだったわけで。
つまり、月曜日に親密度MAX&イベントが発生して、他の結婚条件(家の増築など)が整っていても、次の日曜日が来るまで青い羽根は買えない。
しばらくエンゲージリングならぬ青い羽根待ちの日々が続く。
そこでこの青い羽根待ちの間、私は何をしていたかという話が本題で。
別に、親密度はちょっと話かけにいかなくなったくらいで下がりはしない。
逆に(この作品だったかどうかは定かではないけれど)下手に話しかけにいって、間違えてクワをキャラ相手に振ってしまい、「痛い!何するの!」と傷つけてしまうこともたまにあったりする。
ちなみに私はやった。
若いときの失敗話はいいとして、青い羽根が手に入るまで会いに行かなくてもいいのに、むしろ会いに行く手間が省けるくらいなのに、なぜだかそのプロポーズしたい相手に会いに行ってしまうもので。
相手はプログラムである。
目標である結婚までのプロセスは完了している。
今さら何をしても何のステータスが変わるわけでもない。
なのに、不思議と会いに行ってしまうのだ。
それどころか、これまでアプローチのためにぼんやりと把握していた彼女のタイムスケジュールを駆使して、会いに行ったのにいない→あっちか! などと別の場所まで足を運んだりしてしまう。
(中には攻略本という神の書を用いてストーカーまがいの把握をしている牧場主もいる、むしろそっちが多かったりもするのかもしれない。本望である)
改めて考えてみると、かなり不思議な行動だったなあと思う。
今でこそ、二次元が嫁! という思考がわりとポピュラーになりつつある部分があって、それが良いだの悪いだの分別が問題だのと話にのぼることも少なくない。
二次元に恋い焦がれる、本気で恋愛する、という感覚は私にはまだ理解できていない。
でもたぶん、あのとき青い羽根待ちで過ごした数日間、あの子たちに会いに行っていた感覚は、ゲームの中の親密度や好感度とはまた別のリアルな感情があったからのような気がする。
余談だけれど、SFC版のプロポーズには続きがあって、青い羽根を手に入れてプロポーズしても、即決はしてもらえない。
次の土曜日にならないと返事をもらえないシステムだった。
かつ、その土曜日は『晴れ』でないといけない。
雨だったら次の土曜日に持ち越しという、謎システム。
「だったらプロポーズした次の土曜日は晴れになるようにしとけよ!」と叫んだあのときの自分は、おそらくキャラがプログラムであるということは念頭になかった。
とりあえずプロポーズの返事待ちのもどかしさを、なんとなく理解できた時間ではあったのかなあと、あれから20年近く経った今、思う……。
雨宿り
大学時代ぶりにブログを始めました。